法諡ほふし)” の例文
秀林院しうりんゐん様(細川越中守忠興ただおきの夫人、秀林院殿華屋宗玉大姉くわをくしゆうぎよくだいしはその法諡ほふしなり)のお果てなされさふらふ次第のこと。
糸女覚え書 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
入國とは頼房が慶長十四年に水戸城に入つたことを指すのである。此眞志屋始祖西村氏は參河みかはの人で、過去帳に據ると、淺譽日水信士と法諡ほふしし、元和二年正月三日に歿した。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
臺石に長島氏とり、上に四人の法諡ほふしが並記してある。二人は女子、二人は小兒である。「馨譽慧光大※けいよゑくわうだいし、文政六年癸未きび十月二十七日」は別本に十二代五郎兵衞※、實は叔母しゆくぼと註してある。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
壽阿彌はもと江間氏で、其家は遠江國とほたふみのくに濱名郡舞坂から出てゐる。父は利右衞門、法諡ほふし頓譽淨岸居士とんよじやうがんこじである。過去帳の一本は此人を以て十一代目五郎作としてゐるが、配偶其他卑屬を載せてゐない。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)