正倫まさとも)” の例文
二月二十一日に阿部正倫まさともの未亡人津軽氏比佐子が六十一歳で、蘭軒の治を受けて卒した。比佐子の父は津軽越中守信寧のぶやすであつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
恭忠は備後国福山の城主阿部あべ伊勢守正倫まさともおなじく備中守正精まさきよの二代に仕えた。そのだん枳園を挙げたのは、北八町堀きたはっちょうぼり竹島町たけしまちょうに住んでいた時である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
其孫幸作さんの蔵する文書に徴するに、陶後は安永七年八月十三日に阿部伊勢守正倫まさともの家臣竹亭頼恭ちくていよりゆきの嫡男として生れた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此年享和三年に蘭軒の父信階のぶしなの仕へてゐる阿部家に代替があつた。伊勢守正倫まさともが十月六日に病に依つて致仕し子主計頭正精かぞへのかみまさきよが家を継いだのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
名は信恬しんてん、通称は辞安じあんという。伊沢うじ宗家そうか筑前国ちくぜんのくに福岡ふくおかの城主黒田家くろだけの臣であるが、蘭軒はその分家で、備後国びんごのくに福山の城主阿部伊勢守あべいせのかみ正倫まさともの臣である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)