景勝かげかつ)” の例文
小牧山の直後、秀吉家康の関係が、むつかしかった時だから、秀吉が、上杉景勝かげかつに命じて、昌幸を後援させる筈であったとも云う。
真田幸村 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
石田治部少輔じぶしょうゆう三成が、上杉景勝かげかつと、東西から呼応して、家康を討とうと計ったことから、関ヶ原の乱は、急速にかもされていた。
斎川ノ駅ニ飯ス。一里ニシテ白石ニ抵ル。往者おうしゃ長尾景勝かげかつノ部将甘糟備後あまかすびんごノ拠ル所タリ。慶長中伊達政宗だてまさむね攻メテコレヲ抜ク。片倉景綱かたくらかげつな先登ノ功ヲ以テコノ地ヲム。世〻伊達氏ノ柱石タリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
尼子勝久は自刃した。上杉景勝かげかつは兄を追った。荒木村重むらしげは謀反した。法燈暗く石山城、本願寺も勢力を失うだろう。一向一揆も潰されるだろう、天台の座主ざす比叡山も、粉砕されるに相違ない。
南蛮秘話森右近丸 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その又右衛門宗矩むねのりが、ちょうど三十歳となった年の六月には、主君家康の軍に従って、上杉景勝かげかつを討つため、野州小山おやまの陣中に、一旗本として働いていた。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天正十二年には、秀吉は統一の功を急ぐために徳川家康と同盟し、一方では長曾我部元親もとちかを降して四国を平げ、上杉景勝かげかつと和して北国を定め、島津義久よしひさを討つて九州を従へた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
その間に、秀吉は、却って、越後の上杉景勝かげかつへむかって、積極的に盟約めいやくをうながしていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「越後へやった使いは、まだ何の沙汰もないか。——上杉景勝かげかつへやった使者どもじゃよ」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越中で対陣中の上杉景勝かげかつの兵にたいしては、麾下きか佐々さっさ成政と前田利家の二軍をのこし、北ノ庄にも部下を留め、勝家としては実に、超速度の転進とは見えたが、その主隊が、越前と近江の境
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、叶坊が耳にした上杉景勝かげかつのことばなどを、そのまま語って帰った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)