所替ところがえ)” の例文
「同じ年十月、茂庭大蔵が逼塞の処分になった。番頭役を召放し、所替ところがえである。また、山崎平太左衛門も郡奉行の役を召放し、逼塞の処分を受けた」
大変と申したは、御領地所替ところがえの一段のことでござる。そもそも厩橋の城は、江戸城の繩張をそのままひきうつした二つとなき城で、これよりほか、そのほうに持たすべき城はない。
無惨やな (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
宗村は常陸から奥州へ所替ところがえになり、伊達ごおりやかたを構えて「伊達」を称してから、隠居した陸奥守綱宗までが十九代、原田家も与次郎から甲斐宗輔までが、同じく十九代であった。
城地を求めて家格かかくをひきさげるとは、そもそも、いかなる思い付……酒井の家風をご存じなら、権現さまとのお約束にももとり、藩祖のお名を軽しめるがごとき愚かな所替ところがえは望まれぬはず。
無惨やな (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「播州姫路の松本明矩あきのりさま、このほどお国がえになられるよし。姫路と申すは、厩橋などとはくらべものにならぬほどすぐれた国でございますから、ついでのことに、お所替ところがえをおねがい遊ばせ」
無惨やな (新字新仮名) / 久生十蘭(著)