慶福よしとみ)” の例文
当時の輿論たる一橋慶喜よしのぶを将軍世子に就けることに反対して、紀州慶福よしとみを推したことと、勅許を待たずして日米条約に調印したことである。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
この転化を助けた契機に協調政治家阿部伊勢守の死による対立候補紀州慶福よしとみ擁立派井伊いい大老の首相就任があり、基底に横たわるものにたんに
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
岩瀬肥後の極力排斥した慶福よしとみ擁立説がまた盛り返して来た日を迎えて見ると、そこに将軍の遺旨を奉じてち上がったのが井伊大老その人であったのだ。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
当時、十三代家定の継嗣問題は、一橋慶喜よしのぶと紀伊慶福よしとみ丸をめぐって大きな波紋を描いた。
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
徳川家定は八月二日に、「少々御勝不被遊おんすぐれあそばされず」ということであったが、八日にはたちま薨去こうきょの公報が発せられ、家斉いえなりの孫紀伊宰相慶福よしとみが十三歳で嗣立しりつした。家定の病は虎列拉であったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
水戸はもとより、京都方面まで異議のあろうはずもない。ところがこれには反対の説が出て、血統の近い紀州慶福よしとみを立てるのが世襲伝来の精神から見て正しいと唱え出した。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
慶喜の野心を疑う老中らは、ほとんど水戸の野心を疑う安政当時の紀州慶福よしとみ擁立者たちに異ならなかった。老中らは慶喜の態度をもって、ことさらに幕府をくるしめるものとした。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)