惟然ゐねん)” の例文
此時病床びやうじやうもとにありし門人○木節もくせつ(翁に薬をあたへたる医なり)○去来きよらい惟然ゐねん正秀せいしう之道しだう支考しかう呑舟どんしう丈草ぢやうさう乙州おつしう伽香かかう以上十人なり。
が、詩人芭蕉は又一面には「世渡り」にも長じてゐた。芭蕉のるゐした諸俳人、凡兆、丈艸ぢやうさう惟然ゐねん等はいづれもこの点では芭蕉にかない。
続芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
此時病床びやうじやうもとにありし門人○木節もくせつ(翁に薬をあたへたる医なり)○去来きよらい惟然ゐねん正秀せいしう之道しだう支考しかう呑舟どんしう丈草ぢやうさう乙州おつしう伽香かかう以上十人なり。
「俳諧なども生涯の道の草にしてめんどうなものなり」とは芭蕉の惟然ゐねんに語つた言葉である。その他俳諧を軽んじた口吻こうふんは時々門人に洩らしたらしい。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
一々惟然ゐねん吟声しければ、師丈艸ぢやうさうが句を今一度と望みたまひて、丈艸でかされたり、いつ聞いてもさびしをり整ひたり、面白し面白しと、しはれし声もて讃めたまひにけり。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
が、彼等ははらの底ではどちらも「糞やけだう」を通つてゐた。芭蕉の門弟だつた惟然ゐねんも亦或はかう云ふ一人だつたかも知れない。しかし彼は一茶のやうに図太い根性を持つてゐなかつた。
続芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)