恒善つねよし)” の例文
重症で曼公の遺法も功を奏せなかったと見える。三月二十八日に、長子恒善つねよしが二十六歳で、柳島に隠居していた信順のぶゆき近習きんじゅにせられた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
此年乙未には蘭軒門人森枳園の家に冢子ちようし約之やくしが生れた。渋江抽斎の家では嫡子恒善つねよしが既に十歳になつてゐて、此年第二子優善やすよしが生れた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
至善院は抽斎の曾祖父為隣いりんで、終事院は抽斎が五十歳の時父にさきだって死んだ長男恒善つねよしである。その三には五人の法諡が並べて刻してある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
五百の来り嫁した時、抽斎の家族は主人夫婦、長男恒善つねよし、長女いと、次男優善やすよしの五人であったが、間もなく純はでて馬場氏のとなった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
何故と云ふに、書中に須川隆白すがはりうはくよはひを二十歳としてある。須川は保の兄恒善つねよしよりはわかきこと二歳であつた。其二十歳は丁未の歳となるのである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此年渋江氏では抽斎の長男恒善つねよしが歿した。榛軒の門人録には「渋江道陸」として載せてある。矢島優善やすよしの兄である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)