御前崎おまえざき)” の例文
とはいえ用捨ようしゃなく生活ここうしろは詰るばかりである。それを助けるためにお供の連中は遠州えんしゅう御前崎おまえざき塩田えんでんをつくれとなった。
旧聞日本橋:08 木魚の顔 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
遠州えんしゅう御前崎おまえざき西林院せいりんいんと云う寺があった。住職はいたって慈悲深い男であったが、ある風波の激しい日、難船でもありはしないかと思って外へ出てみた。
義猫の塚 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
伊豆の子浦ねのうらに寄り、十一月四日の夜、遠州の御前崎おまえざきの沖あたりまで行くと、海面うなづらがにわかに光りを増し、海全体が大きな手で持ちあげられるように立ちあがったと思う間に
重吉漂流紀聞 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
東京の近くでは埼玉県南部の平地などに、その時の地名がいくらも残っている。平方ひらかた領家とか指柳さしやなぎ領家などというのがそれで、同種の地域名はまた遠州の御前崎おまえざき附近、その他各地にも分布している。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
遠江とおとうみ御前崎おまえざきへ往ったのは大正十四年の二月二日であった。岬には燈台があって無線電信の設備もあった。その燈台の燈光は六十三万燭で十九かいり半の遠距離に及ぶ回転燈であった。
真紅な帆の帆前船 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
せっかく伊勢の近くまで来て、後帰りするさえ迷惑なのに、帆柱にあたる風ばかりのため、五十里を二刻ほどで走り、翌五日の夜明けごろ、要吉が海へ落ちた御前崎おまえざきの近くまで吹き戻されてしまった。
重吉漂流紀聞 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
イタンドリ 遠江とおとうみ御前崎おまえざきその他