後鳥羽ごとば)” の例文
安徳のつぎの天皇後鳥羽ごとばも、四歳の乳児であった。後白河法皇が、天皇の位につかせたもので、天皇高倉の妾の腹の子である。
ここの御所からは、別府湾をへだてて、海士郡あまごおりの山波がすぐ眉に迫ってくる。その丘の一つは、承久の後鳥羽ごとば法皇のおん亡骸なきがらそのものなのだ。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
承久じょうきゅうの乱にひとしくふしあわせな運命におあいなされた後鳥羽ごとば土御門つちみかど、順徳の三帝を祭神として、いまはそこに官幣中社かんぺいちゅうしゃが建っているのだが
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
折しも、京都には天資英邁文武の諸芸に達し給うた後鳥羽ごとば上皇が、おはしましたから、討幕の御計画が進められたのは当然である。これが承久しようきうの変である。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
『千載集』の奏覧は後鳥羽ごとば天皇の文治ぶんじ三年(一一八七)で、撰者藤原俊成は七十四歳であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「幕府より何程逆燄ぎゃくえんを奪い悖逆はいぎゃくの処置ありとも、御頓着とんちゃくなく後鳥羽ごとば後醍醐ごだいご両天皇を目的として、御覚悟定められば、正成まさしげ義貞よしさだ高徳たかのり武重たけしげの如き者累々継出つぎいでんは必然なり」
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
現に、承久の後鳥羽ごとば法皇は、北条義時にやぶれて、この島へ流され、海士郡あまぐんの配所に十八年間をむなしくとらわれのまま送って、ついにここでほうぜられており、その法皇がまれたという
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)