安徽省あんきしょう)” の例文
一方、南下して来た玄徳の軍も、道を急いで来たので、両軍は臨淮郡りんわいぐん盱眙くい安徽省あんきしょう・鳳陽県東方)というところで、果然、衝突した。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「拙者は、潁上えいじょう安徽省あんきしょう・潁上)の単福たんふくと申し、いささか道を問い、兵法を学び、諸国を遊歴している一介の浪人にすぎません」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
呉の主力は、呉侯孫権の直属として、赤壁の大勝後は、その余勢をもって、合淝がっぴの城(安徽省あんきしょう・肥)を攻めていた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、呂蒙りょもうの意見を容れて、濡須じゅしゅ安徽省あんきしょう巣湖そうこ長江ちょうこうの中間)の水流の口から一帯にかけて、つつみを築いた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
臨淮りんわい東城とうじょう安徽省あんきしょう・東城)におります。——この人は、胸に六韜三略りくとうさんりゃくを蔵し、生れながら機謀に富み、しかも平常は実に温厚で、会えば春風に接するようです。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は盧江ろこう安徽省あんきしょう)の生れで、周瑜しゅうゆあざな公瑾こうきんといい、孫策とは少年時代からの竹馬の友だったが、その快挙を聞いて、共に助けんと、ここまで急いで来たのだと語った。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日をかさねて、行軍は安徽省あんきしょうに入り、濡須じゅしゅの堤を前にして、二百余里にわたる陣をいた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
合淝がっぴの城(安徽省あんきしょう・合肥)を攻めさせるのです。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)