大衆だいしゅ)” の例文
すべて言語道断な次第じゃ。じゃによって、一山大衆だいしゅの名をもって、上人しょうにんの裁可を仰ぎ、即刻、わが浄域じょういきより追放を申しつくるものである
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高良山の大衆だいしゅが、「この山は真言の宗旨だ。この山の麓で専修念仏はけしからん。念仏の輩を追い出せ」
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「おなごか鯉魚かわしが見んことには判らん。これは一つ昭公と大衆だいしゅ法戦ほっせんをして、その対決の上で裁くことにしよう。早速さっそく、鐘を打つがよろしい。双方そうほう、法堂へ行って支度をしなさい」
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
叡山の座主ざすであり、慈円僧正の師でもある覚快かくかい法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆だいしゅを導くことになったのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
心し給え、大衆だいしゅ。いずれか秋にあわで果つべきじゃ。ここに不肖ふしょう文覚、いささか思いをいたし、かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
叡山えいざん騒擾そうじょうはその後もつづいていた。院政の威光も、平家の権力も、山門の大衆だいしゅだけには及ばない有様なのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見るに、大衆だいしゅといえば低きもの、智なきもの、いかようにもなるものとなしおるが、秀吉には心得難きことに思う
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さわぐな、うろたえるな! 大衆だいしゅは山門におのぼりめされ。わしについて、楼門ろうもんの上へのぼるがよい」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『また、叡山えいざんか、興福寺の大衆だいしゅが、強訴ごうそにでも、押しよせて来たのでしょうか』
「玄尊、大衆だいしゅへ物申せ」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)