国栖くず)” の例文
旧字:國栖
それで津村は、実はそのつもりで国栖くずの親戚から話しておいてもらったから、多分今日あたりは待っているはずだと云うのである。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いずれは日本語であって国栖くず土蜘蛛つちぐも言葉の伝わるものは稀有けうだったろうが、それがこじつけようにもほとんと道がなく、是非なくそのままで暗記しているというのは
和州地名談 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
これは吉野山よしのやまは、だんだんそれを分け入って行くと、唐土もろこしに通じているという話のあるところから思いついた句であろう。謡曲の『国栖くず』にも次ぎのような文句がある。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
しかし国栖くずに至っては、いかにもその名称は似ているが、彼らの風俗その他、到底蝦夷らしくないという内容の研究から、かつて土蜘蛛論(歴史地理九巻三号)でも、彼らの異民族たるべき事を論じ
国栖の名義 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
そして彼がこの間中から私への通信に「国栖くず親戚しんせき」と書いて来たのは、このおりと婆さんの家を指すのであった。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
北山抄ほくざんしょう』『江次第ごうしだい』の時代を経て、それよりもまた遙か後代まで名目を存していた、新春朝廷の国栖くずの奏は、最初には実際この者が山を出でて来り仕え、御贄みあえを献じたのに始まるのであります。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私はとにかく津村をうながしてその岩の上からこしもたげた。そして、宮滝でくるまやとって、その晩めて貰うことにきめてあった国栖くずの昆布家へ着いた時は、すっかり夜になっていた。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)