印鑰いんやく)” の例文
介の藤原尚範も印鑰いんやくを奪はれて終つた。十九日国庁に入り、四門の陣を固めて、将門をはじめ興世王、藤原玄茂等堂〻と居流れた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
この森を印鑰いんやくの森という。これはもと豊後ぶんごの国府のあとで、今は稲荷が祀ってある。又国分寺はここから一里半位のところに堂が存しておって、礎石が点々とそのあたりに残っているそうである。
別府温泉 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
記に「将門撃つて三千人を殺す」とあるのは大袈裟おほげさ過ぎるやうだが、敵将維幾を生捕いけどりにし、官の印鑰いんやくを奪ひ、財宝を多く奪ひ、営舎をき、凱歌がいかげて、二十九日に豊田郡の鎌輪かまわ
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
下野の新司の藤原の公雅は抵抗し兼ねて印鑰いんやくを差出してくだつてしまつた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)