南日なんにち)” の例文
先年私が南日なんにち君と三峰へ行った時、神社の裏手の三峰村の老人に聞いたことがある。其老人は若い頃に一度お姿を見たことがあると話した。
奥秩父 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
私は今年(大正六年)長次郎と他に二人の人夫を伴って南日なんにち、森の二君と共に五竜方面から此山稜を縦走した。
八ヶ峰の断裂 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
その後十四年を過ぎた明治四十二年の秋に南日なんにち君と再び此原を通った時には、この落葉松林も大方は伐採されて、二、三の大木が諸所に散在しているに過ぎなかったが
思い出す儘に (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
南日なんにち君と二人で秩父の栃本から十文字峠をえ、梓山に下って其処そこから初めて甲武信岳へ登った時のことである、金峰山と国師こくし岳との間は縦走されているにもかかわらず
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
室堂むろどうを午前五時頃に出発すれば日帰りの出来る道程である。此路は大正二年七月に近藤茂吉しげきち君が下山の際初めて通過し、同年八月に私は南日なんにち、中村の二君と逆に之を登った。
越中劒岳 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
自分が曾て南日なんにち(田部)君と雲取山に登った時、当面に雄偉な状貌を呈している此山を指して、鴨沢から丁度道普請みちぶしんに来た人夫に、あれは大洞山かと聞いても、容易にその意味が通じなかった。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
同行の南日なんにち君と赤羽から一緒に乗り込んだ越後女の一隊が、終夜声自慢の謡を歌うやら笑うやら巫山戯ふざけるやら、一方ならぬ騒々しさで、夜風の涼しいにもかかわらず、少しも眠ることが出来なかった。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)