冉有ぜんゆう)” の例文
第九、第十の子貢や冉有ぜんゆうの話もほぼ同様なものであろう。子貢の外交の話は子貢が弁舌に達せることから出たものと思われる。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
てきぱきした実務家の冉有ぜんゆう。温厚の長者閔子騫びんしけん穿鑿せんさく好きな故実家の子夏しか。いささか詭弁派的きべんはてき享受家きょうじゅか宰予さいよ気骨きこつ稜々りょうりょうたる慷慨家こうがいか公良孺こうりょうじゅ
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
子路と曾皙そうせき冉有ぜんゆう公西華こうせいかが先師のおそばにいたとき、先師がいわれた。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
孔子はそれを別室で聞いていたが、しばらくしてかたわらなる冉有ぜんゆうに向って言った。あの瑟の音を聞くがよい。暴厲ぼうれいの気がおのずからみなぎっているではないか。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
(十) その翌年、弟子冉有が季康子きこうしのために師をひきい斉と戦って勝った。季康子がそれについて尋ねると、冉有ぜんゆう軍旅ぐんりょのことを孔子に学んだと答えた。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
関守せきもりは、もう七十に近い老人である。彼は、是が非でも、じかに孔子に面会させてもらうつもりで、その宿所に門人の冉有ぜんゆうを訪ねて、曲った腰を叩きながら、しきりにまくし立てていた。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
そうして子路であるから勇ありという一語を用いしめることを忘れず、また前段で説いたように孔子が子路をわらうということも注意深く付加されている。冉有ぜんゆうについても同様である。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
季氏が泰山たいざんの山祭りをしようとした。先師が冉有ぜんゆうにいわれた。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
冉有ぜんゆうがいった。——
現代訳論語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)