入間川いるまがわ)” の例文
「誰のか知らぬが、入間川いるまがわの近くに、うろついていたので、お体のつかれている武蔵様へ、天の与えと、拾っておすすめ申したのだ」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義宗破れて入間川いるまがわに退き、二十八日小手差原こてさしはらにて戦い、ふたたび破れて退いたが、この時は足利尊氏が、これも源氏というところから、その金を利用したということじゃ。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あなたはどういう道順でお出でになりました……。ははあ、四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換えて、所沢や入間川いるまがわを通って……。成程、おかを行くとそういう事になりましょうね。
狂言「入間川いるまがわ」に、入間言葉のさかさまごとの滑稽から、自分で川の深みにはまり込んだ大名だいみょうが、「諸侍しょざむらい」に欲しくも無い水をくれた程に、「成敗せいばいするぞ」と大威張りに威張ったところがある。
その三日目、輿の列はまだやっと、武蔵国むさし比企郡の低い山すそ道を、入間川いるまがわの方へさして行くのが小さく見られていたにすぎない。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこは入間川いるまがわ高麗川こまがわの二水にはさまれていて、幾ツもの低い岡や静脈のごとき支流の水や、同じような土橋や藪畳やぶだたみや森や池や窪地の多いため、ここへ足を入れた旅人は
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
を按じますに、まだ生きております。今、彼のいる地点は北武蔵野の一角、入間川いるまがわること遠からず、秩父から武蔵へ通う山境、鳥首峠とりくびとうげが遙か西の方に見られる峡谷の一部落。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
入間川いるまがわの水は三倍にもなっていた。平常の土橋は川の中に取残され、何の用もなさなくなっている。附近の住民達は、田舟を出したり、くいを打ち込んだりして、両岸から橋を継ぎ足していた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)