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久我
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こが
ふりがな文庫
“
久我
(
こが
)” の例文
右大臣
久我
(
こが
)
長通が、すすんで彼へ辞令をさずけた。先の
位記
(
いき
)
を一階
昇
(
あ
)
げ、あわせて武蔵守、鎮守府将軍に任ず、という朝命だった。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
廉子はじめ後宮の
女人
(
にょにん
)
たちもすべて、諸家の“
預
(
あず
)
け
籠
(
ご
)
め”となって分散されていたのである。また新朝廷の、
久我
(
こが
)
ノ右大臣へも事のよしを報じてもどった。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
新朝廷の方は、西園寺公宗をはじめ、光厳帝の
傅
(
ふ
)
、
久我
(
こが
)
ノ右大臣や中院ノ大納言も説きふせてあるし、また後伏見、花園の二上皇も、意地悪くは仰せもなく
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
やがてまた、三条の
実継
(
さねつぐ
)
や日野中納言
資名
(
すけな
)
などもこれへ来て、
奉侍
(
ほうじ
)
した。
久我
(
こが
)
の
前
(
さき
)
ノ内大臣もやってきた。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこで
急遽
(
きゅうきょ
)
、この長井縫之助がえらばれ、新朝廷の西園寺、
久我
(
こが
)
などの
大臣
(
おとど
)
をとおし、二上皇の御裁可をうながすべき
東使
(
とうし
)
として、派遣されて来たものだった。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“久我(
久我家
)”の解説
久我家(こがけ)は、村上源氏の嫡流にあたる貴族・公家・華族の家。公家としての家格は清華家、華族としての家格は侯爵家。
(出典:Wikipedia)
久
常用漢字
小5
部首:⼃
3画
我
常用漢字
小6
部首:⼽
7画
“久我”で始まる語句
久我之助
久我畷
久我鎮子
久我家
久我具親
久我千秋
久我建通
久我源氏
久我長通
久我大納言