三成みつなり)” の例文
慶長年代のころ、石田いしだ三成みつなりが西国の諸侯をかたらって濃州関ヶ原へ出陣のおり、徳川台徳院は中仙道なかせんどうを登って関ヶ原の方へ向かった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
城普請しろぶしん奉行は——石田三成みつなり、増田長盛、浅野長政の三人。市区建設奉行は、堀久太郎、片桐且元、長束正家なつかまさいえなどである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
席に侍していたのは、秀吉の臣では石田三成みつなりと、上杉方では、直江山城守との、二人だけだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後の石田三成みつなり——佐吉少年は、そも、この夕方、どんな志を生涯のゆくてに夢みていたろうか。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三成みつなりは、めったに人にあらわさない情熱をおもてに見せ、山城守のすずやかなひとみを見つめて云った。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)