三崎町みさきちょう)” の例文
三崎町みさきちょうの小さな洋食屋の二階で、私達は話をきめた。それは夜の七時頃であった。私は、学校に行くには遅し、家に帰るには早かった。
なんで、川上のおかみさんになぞなるのだろうと、漠然ばくぜんとそんなふうに思ったこともあった。その後、川上座の建築が三崎町みさきちょうへ出来るまで、奴の名には遠ざかっていた。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
白翁堂勇斎はくおうどうゆうさいに知らし、勇斎の注意で萩原は女の住んでいると云う谷中やなか三崎町みさきちょうへ女の家を探しに往って、新幡随院しんばんずいいんうしろ新墓しんはかと牡丹の燈籠を見、それから白翁堂の紹介で
牡丹灯籠 牡丹灯記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その辺で御免をこうむりゃいいのを、あの女が『家まで案内しましょう、谷中やなか三崎町みさきちょうですから』
脩の長女花が三月十五日に六歳で歿した。三十七年には保が五月十五日に神田三崎町みさきちょう一番地に移った。三十八年には保が七月十三日に荏原郡えばらごおり品川町しながわちょう南品川百五十九番地に移った。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
十一月の下旬の晴れた日に、所用あって神田かんだ三崎町みさきちょうまで出かけた。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
神田の三崎町みさきちょうの三崎座に女役者の座頭ざがしらになってしまったりする。
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)