“まさちか”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
正親33.3%
政親16.7%
政近16.7%
正愛16.7%
雅親16.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
むし暑い十八日の夜が明けて、十九日の早朝、元康の部将松平光則みつのり、同正親まさちか、同政忠等が率いる兵が先ず丸根の砦に迫った。かねて覚悟の佐久間盛重以下の守兵は、猛烈に防ぎ戦った。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
縫は享和二年に始めて須磨すまというむすめを生んだ。これは後文政二牛に十八歳で、留守居るすい年寄としより佐野さの豊前守ぶぜんのかみ政親まさちか飯田四郎左衛門いいだしろうざえもん良清よしきよに嫁し、九年に二十五歳で死んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
並河掃部なみかわかもん。松田政近まさちかの隊 二千人
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
妻は下総国しもうさのくに佐倉の城主堀田ほった相模守正愛まさちか家来大目附おおめつけ百石岩田十大夫いわたじゅうたゆうむすめ百合ゆりとして願済ねがいずみになったが、実は下野しもつけ安蘇郡あそごおり佐野さのの浪人尾島忠助おじまちゅうすけむすめさだである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
雅経の子教定のりさだの女は為氏の妻、教定の男雅有まさありは為家の門人、雅世の父雅縁まさよりは両統合体後の歌壇に少しは認められた歌人、ことに雅世の子雅親まさちかは正二位権大納言に昇り
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)