“けいせん”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ケイセン
語句割合
罫線33.3%
繋船22.2%
桂川11.1%
涇川11.1%
荊陜11.1%
軽賤11.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
白い大きな顔の男で、額に苦労皺が罫線けいせんのように何本も几帳面に刻まれています。彼は花田の言ったことはちゃんと聞き取ったと見え、愛想よく
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
三十五号船は一日おきに塩崎と高浦で繋船けいせんする、栗橋はその中間にある小さな村で、どちらからも一里半ほどの距離があった。
留さんとその女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
桂川けいせん詩集』、『遊相医話ゆうそういわ』などという、当時の著述を見たらわかるかも知れぬが、わたくしはまだ見るに及ばない。寿蔵碑じゅぞうひには、浦賀うらが大磯おおいそ大山おおやま日向ひなた津久井つくい県の地名が挙げてある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
唐の高宗の時に柳毅りゅうきという書生があった。文官試験を受けたが合格しなかったので、故郷の呉に帰るつもりで涇川けいせんほとりまで帰ってきたが、その涇川の北岸に同郷の者が住んでいた。
柳毅伝 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
総勢八十三万の兵を、号して百万ととなえ、西は荊陜けいせんから東は蘄黄きこうにわたる三百里のあいだ、烟火えんか連々と陣線をひいて、呉の境を威圧した。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その時の大老の言葉に、岩瀬輩が軽賤けいせんの身でありながら柱石たるわれわれをさし置いて、勝手に将軍の継嗣問題なぞを持ち出した。その罪は憎むべき大逆無道にも相当する。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)