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きんちゅう
建文
未だ死せず、従臣の
中、
道衍金忠の輩の如き策士あって、西北の
胡兵を借るあらば、天下の事知る可からざるなり。
鄭和胡濙の
出づるある、
徒爾ならんや。
燕王笑って曰く、
吾が年
将に四旬ならんとす、鬚
豈能く
復長ぜんやと。道衍こゝに於て
金忠というものを
薦む。金忠も亦
鄞の人なり、
少くして書を読み
易に通ず。
天子の
正朔を奉ぜず、
敢て建文の年号を去って、洪武三十二年と称し、
道衍を
帷幄の謀師とし、
金忠を
紀善として機密に参ぜしめ、張玉、朱能、
丘福を都指揮
僉事とし