青苔あおごけ)” の例文
古い寺院おてらにでも見るような青苔あおごけえた庭の奥まったところにある離座敷はなれに行って着いた人達は、早く届いた荷物と一緒に岸本を待っていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その日は、維那ゆいな和尚から薪作務まきさむのお触れが出ていた。ほがらかな初夏の太陽が老杉を洩れて、しめっぽい青苔あおごけの道にも明るい日脚が射していた。
仇討三態 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そこに、わずか二間ふたまの茶屋がある。小さい水屋が附いているのみで、青苔あおごけの匂うばかりふかい泉石に、銀杏いちょうの黄色な落葉が、かけひの下にたまっていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四角に石を畳んだ井戸がわに一面に青苔あおごけが生えている。書生はいきなりその石に手をついて、井戸の中をのぞきこんだ。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かしの高い生垣いけがきで家を囲んだ豪家もあれば、青苔あおごけが汚なくえたみぞを前にした荒壁の崩れかけた家もあった。鶏の声がところどころにのどかに聞こえる。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
みんなして板塀へいがドッと音のするほど水をいて、樹木から金のしずくがこぼれ、青苔あおごけが生々した庭石の上に、細かく土のはねた、健康そうな素足を揃えて
樹立こだちに薄暗い石段の、石よりもうずたか青苔あおごけの中に、あの蛍袋ほたるぶくろという、薄紫うすむらさき差俯向さしうつむいた桔梗ききょう科の花の早咲はやざきを見るにつけても、何となく湿しめっぽい気がして
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
入江の水はピチャピチャと石の階段の最下の段を面白そうに洗っていたが、松火の光に照らされて、その辺一面青苔あおごけによって飾られているのが窺われた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
五六枚の飛石とびいしを一面の青苔あおごけが埋めて、素足すあしで踏みつけたら、さも心持ちがよさそうだ。左は山つづきのがけに赤松がななめに岩の間から庭の上へさし出している。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
周囲ぐるりにはほどよく樹木じゅもくえて、丁度ちょうど置石おきいしのように自然石じねんせきがあちこちにあしらってあり、そして一めんにふさふさした青苔あおごけがぎっしりきつめられてるのです。
とりわけ隠居所の前には亡きあるじ三郎左衛門さぶろざえもんが「蒼竜そうりゅう」と名づけた古木があって、佶屈きっくつとした樹ぶりによく青苔あおごけがつき、いつも春ごとにもっとも早く花を咲かせる。
日本婦道記:梅咲きぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
柿の木蔭こかげは涼しい風が吹いて居る。青苔あおごけした柿の幹から花をつけた雪の下が長くぶら下って居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
見たばかりでも気が滅入めいりそうな、ひさしの低い平家建で、この頃の天気に色の出た雨落ちの石の青苔あおごけからも、きのこぐらいは生えるかと思うぐらい、妙にじめじめしていました。
妖婆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
夏のゆうべには縁の下からおおきひきがえるが湿った青苔あおごけの上にその腹を引摺ひきずりながら歩き出る。家の主人あるじ石菖せきしょうや金魚の水鉢を縁側に置いて楽しむのも大抵はこの手水鉢の近くである。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
山奥の青苔あおごけしとねとなッたり、河岸かしの小砂利がふすまとなッたり、その内に……敵が……そら、太鼓が……右左に大将の下知が……そこで命がなくなッて、跡は野原でこのありさまだ。
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
石で組んだ井筒には青苔あおごけがじめじめしていた。傍に花魁草おいらんそうなどが丈高く茂っていた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
祠堂金しどうきんも納めてある筈、僅ばかりでも折々の附け届も怠らなかったつもりだのに、是はまた如何な事! 何時いつ掃除した事やら、台石は一杯に青苔あおごけが蒸して石塔も白いかさぶたのような物におおわれ
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
朝まだ暗いうちに旧城の青苔あおごけ滑らかな石垣によじ上って鈴虫の鳴いている穴を捜し、火吹竹で静かにその穴を吹いていると、憐れな小さな歌手は、この世に何事が起ったかを見るために
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そのあたりは、その孟宗竹もうそうちくの藪のようになっているのだが、土の崩れかけた築山つきやまや、欠けて青苔あおごけのついた石燈籠いしどうろうなどは、いまだに残っていて、以前は中々なかなかったものらしく見える、が何分なにぶんにも
怪物屋敷 (新字新仮名) / 柳川春葉(著)
八寸に載って出た慈姑くわいをひょいとはさもうとして、箸の間から落した拍子に、慈姑がれ縁から庭にころげて、青苔あおごけの上をころころと走って行ったのには、悦子も大人達も声を挙げて笑ったが
細雪:01 上巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
青苔あおごけが、青粉あおこを敷いたように広い墓地内の地面を落ち付かせていた。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「あ、誰かいるようだな」と、青苔あおごけのついた敷石を五、六歩入って、目明し万吉、何の気なしに時雨堂をのぞきこんだ。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一面の草原くさはらに取り囲まれるようにして、青苔あおごけの生えた煉瓦塀がつづき、その中の広い地所に、時代のために黒くくすんだ奇妙な赤煉瓦の西洋館が建っている。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
青苔あおごけむ風は、坂に草を吹靡ふきなびくより、おのずからしずかではあるが、階段に、緑に、堂のあたりに散った常盤木ときわぎの落葉の乱れたのが、いま、そよとも動かない。
貝の穴に河童の居る事 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
洗場あらいばながしは乾く間のない水のために青苔あおごけが生えて、触ったらぬらぬらしそうにひかっている。そして其処には使捨てた草楊枝くさようじの折れたのに、青いのや鼠色の啖唾たんつばが流れきらずに引掛っている。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
楽しい春雨の降った後では、湿った梅の枝が新しい紅味を帯びて見える。長い間雪の下に成っていた草屋根の青苔あおごけも急にき返る。心地ここちの好い風が吹いて来る。青空の色も次第に濃くなる。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
樋は錆びちていると見え、途中の板の合せ目からも穴の個所からもざあ/\水は小川の中へこぼれています。そのくらいな洩れはちっとも影響しないように水は樋のふちの青苔あおごけに溢れて流れています。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
今朝まで、からくも、彼の生命をつないで来たのではないかと思われる岩肌の青苔あおごけも、すべて、彼の爪に掻きとられて、牢内に、青いものは失くなった。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青苔あおごけ緑青ろくしょうがぶくぶく禿げた、湿ったのりの香のぷんとする、山の書割の立て掛けてある暗い処へ凭懸よっかかって、ああ、さすがにここも都だ、としきりに可懐なつかしじった。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
でも君、青苔あおごけえた墓石に二人の名前が彫りつけてでもあって、それを訪ねて行くんなら比翼塚の感じもするが、どうしてそんなものじゃない。男と女の寝像が堂々と枕を並べているから驚く。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
たばになって倒れた卒塔婆そとばと共に青苔あおごけ斑点しみおおわれた墓石はかいしは、岸という限界さえくずれてしまった水溜みずたまりのような古池の中へ、幾個いくつとなくのめり込んでいる。無論新しい手向たむけの花なぞは一つも見えない。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「墓を手探りで、こう冷い青苔あおごけを捜したらね、燐寸マッチがあったよ。——今朝忘れたものらしい。それに附木まであるんだ。ああ、何より、先生はどうした、槙村さんは。」
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひそやかな茶庭の木々は、その青苔あおごけを、見つけない武者わらんじに踏まれて、物恟ものおびえでもしたように、その具足の人影や、あるじの肩に、チラと、木の葉を降りこぼしていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青苔あおごけがいちめんについているさまともうし、一ども人の手にふれたらしい点はみえませぬ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
横浜の新仏しんぼとけ燐火ひとだまにもならずに、飛んで来ている——成程、親たちの墓へ入ったんだから、不思議はありませんが、あの、青苔あおごけが蒸して、土の黒い、小さな先祖代々の石塔の影に
卵塔場の天女 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
青苔あおごけの生えている、柿葺こけらぶきをバリバリ破って、そこからやッと、首だけ出した先生の声でした。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
べとりと一面青苔あおごけに成つて、欠釣瓶かけつるべ一具いちぐ、さゝくれつた朽目くちめに、おおきく生えて、ねずみに黄を帯びた、手に余るばかりのきのこが一本。其のかさ既に落ちたり、とあつて、わきにものこそあれとふ。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
二人の影は、寺院の登り口でもあるような、森の木蔭と青苔あおごけおおわれた石段を踏んでいた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
路傍みちばたに石の古井筒があるが、欠目に青苔あおごけの生えた、それにも濡色はなく、ばさばさはしゃいで、ながしからびている。そこいら何軒かして日に幾度、と数えるほどは米を磨ぐものも無いのであろう。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
近々に学校で——やがて暑さにはなるし——余り青苔あおごけが生えて、石垣も崩れたというので、井戸側いどがわを取替えるに、石の大輪おおわが門の内にあったのを、小児だちが悪戯いたずらに庭へ転がし出したのがある。
朱日記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
喰い終る頃、うっすらと、下の谷間は霧がれかかって来た。敵の搦手からめてだ。——しょく桟道かけはしを思わすような蔦葛つたかずらの這った桟橋かけはしが見える。絶壁が見える。巨大な青苔あおごけえた石垣やらさくなども見える。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)