“輝”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
かがや56.9%
かゞや15.9%
4.3%
ひか3.7%
かがやか3.1%
かがやき2.4%
かゞやき2.1%
てる1.8%
かゞ1.8%
てら1.5%
かが1.2%
かゞやか1.2%
ひかり1.2%
きら0.6%
あきら0.6%
カヽヤクハ0.6%
カヾヤ0.6%
きらめ0.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
まだ昨日きのうったあめみずが、ところどころのくぼみにたまっていました。そのみずおもてにも、ひかりうつくしくらしてかがやいていました。
幾年もたった後 (新字新仮名) / 小川未明(著)
友染いうぜんきれに、白羽二重しろはぶたへうらをかさねて、むらさきひもくちかゞつた、衣絵きぬゑさんが手縫てぬい服紗袋ふくさぶくろつゝんで、そのおくつた、しろかゞや小鍋こなべである。
銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
サアおいでだというお先布令さきぶれがあると、昔堅気むかしかたぎの百姓たちが一同に炬火たいまつをふりらして、我先われさきと二里も三里も出揃でぞろって、お待受まちうけをするのです。
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
しんとしてさびしい磯の退潮ひきしおあとが日にひかって、小さな波が水際みぎわをもてあそんでいるらしく長いすじ白刃しらはのように光っては消えている。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お葉は人の少い通に出た時、かがやかしい瞳を上げて大空を仰いだのである。そして、「私は本當に死ぬんだもの、三十三には死ぬんだもの、」
三十三の死 (旧字旧仮名) / 素木しづ(著)
そこで許宣は舗を出て、銭塘門せんとうもんのほうへと往った。初夏のようなかがやきの強いの照る日で、仏寺に往き墓参に往く男女が街路にあふれていた。
蛇性の婬 :雷峰怪蹟 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
この歌は、かのうるはしき笛よりいで、さながら元のかゞやきうつれる光にまさる如く、われらのムーゼわれらのシレーネにまさる 七—九
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「親分も知つて居なさるでせう、近頃兩國の廣小路に小屋を掛けて、江戸中の人氣を集めて居る、娘手踊の半九郎一座の花形、おてふとおてる
そして、先生せんせいた、一心不亂いつしんふらん此精神このせいしんもつ兒童じどうみちびき、何時いつたのしげにえ、何時いつ其顏そのかほ希望きばうかゞやいてました。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
下男共げなんどもて、かれ手足てあしり、小聖堂こせいだうはこつたが、かれいまめいせずして、死骸むくろだいうへ横臥よこたはつてゐる。つてつき影暗かげくらかれてらした。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
兎も角その中橋南地なかばしなんちの猿若座の桝に納まったどんな客の中にも、お竹ほどのかがやかしい存在はたった一人も無かったことは事実でした。
元寇は、日本のかゞやかしき大勝に終つたが、その戦禍を甚だしく受けたものは、戦勝の殊勲者たる鎌倉幕府それ自身であつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
そこで許宣は舗を出て、銭塘門せんとうもんの方へ往った。初夏のようなひかりの強い陽の照る日で、仏寺に往き墓参に往く男女が街路に溢れていた。
雷峯塔物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
是公の家の屋根から突出つきだした細長い塔が、瑠璃色るりいろの大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋はつあきが、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星をきらつかせていた。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
きのうは三越へ降りたついでに、あきらまさるのためおもちゃを買いました、其は色も何もついていない、ちょいとした積木ですが、二つで十一円何十銭かでした。ほんの小さいものなの。
七歳の時紅梅こうばいを御覧じて「梅の花紅脂べにのいろにぞ似たる哉阿古あこが顔にもぬるべかりけり」十一の春(斉衡二年)父君より月下梅げつかのうめといふだいを玉ひたる時即坐そくざに「月カヽヤクハハル、 ...
屋敷中の人々は、ウヘ近くツカへる人たちから、垣内カキツの隅に住む奴隷ヤツコ婢奴メヤツコの末にまで、顏をカヾヤかして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
水平線の果て波浪はきらめ
サガレンの浮浪者 (新字新仮名) / 広海大治(著)