武帝ぶてい)” の例文
昔、漢の武帝ぶてい胡国ここくを攻めた時、始めは、李少卿りしょうけいを大将として、三十万騎を差し向けたが武運つたなく敗れ、李少卿は捕虜になった。
おもふに、ゑがける美人びじんは、ける醜女しうぢよよりもなりつたく、かん武帝ぶてい宮人きうじん麗娟りけんとしはじめて十四。たまはだへつややかにしてしろく、うるほふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
かん武帝ぶていが常に匈奴に苦しめられ、始皇しこうが六国を亡ぼしても北部の蕃族、即ち匈奴を防ぐがために万里ばんり長城ちょうじょうを築くという有様であった。
東亜の平和を論ず (新字新仮名) / 大隈重信(著)
調子のよいときの武帝ぶていまこと高邁闊達こうまいかったつな・理解ある文教の保護者だったし、太史令たいしれいという職が地味な特殊な技能を要するものだったために
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
帝は高祖武帝ぶていの第七子にして、は武帝の長子にして文選もんぜん撰者せんじゃたる昭明太子しょうめいたいしとうの第二子なり。一門の語、誉を征するの時に当りて発するか。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
朝鮮ちようせんきたほうは、いまから千九百年せんくひやくねんほどまへ滿洲まんしゆうほうからかけて、かん武帝ぶていといふつよ天子てんしめててそこを占領せんりようし、樂浪郡らくろうぐんなどゝいふ支那しなぐんよつつもまうけたところであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
す。りよう武帝ぶてい達磨大師だるまだいしに問ふ。如何いかんこれ仏法ぶつぽう云ふ。水中の河馬かば
動物園 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
紇は後にちん武帝ぶていのために誅せられたが、彼は平素から江総こうそうと仲がよかった。江総は紇の子の聡明なるを愛して、常に自分の家に留めて置いたので、紇のほろびる時にもその子は難をまぬかれた。
武帝ぶていの死と昭帝しょうていの即位とを報じてかたがた当分の友好関係を——常に一年とは続いたことのない友好関係だったが——結ぶための平和の使節である。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
がいむらさきしやべて四十里しじふり歩障ほしやうつくれば、そうにしきへてこれ五十里ごじふりる。武帝ぶていしうとちからへて、まけるなとて、珊瑚樹さんごじゆたか二尺にしやくなるをたまふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
これに増補改刪かいさん推敲すいこうを加えているうちにまた数年がたった。史記しき百三十巻、五十二万六千五百字が完成したのは、すでに武帝ぶてい崩御ほうぎょに近いころであった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
司馬相如しばさうじよつま卓文君たくぶんくんは、まゆゑがきてみどりなることあたか遠山とほやまかすめるごとし、づけて遠山ゑんざんまゆふ。武帝ぶてい宮人きうじんまゆ調とゝのふるに青黛せいたいつてす、いづれもよそほふに不可ふかとせず。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)