南部なんぶ)” の例文
青森県のままごと方言は色々あるが、だいたいに南部なんぶ領はオフルメヤコ、津軽つがる領はオヒルマイコまたはジサイコナコというのがひろい。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
(ロ)暖帶林だんたいりんまたは、櫧帶かしたい)。 このたいぞくする區域くいきは、沖繩縣おきなはけん中央ちゆうおう以北いほくから、四國しこく九州きゆうしゆう全部ぜんぶ本州ほんしゆう南部なんぶで、平均へいきん北緯三十六度ほくいさんじゆうろくど以南いなんです。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
南部なんぶ才浦さいうらところで、七日なぬかばかり風待かざまちをしてうちに、長八ちやうはちわかをとこが、船宿ふなやど小宿こやどむすめ馴染なじんで、明日あす出帆しゆつぱん、とまへばんつて
印度更紗 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
大きな地域を有つ県で、昔は南部なんぶ領でありました。更にさかのぼれば藤原一門の文化が栄えた所で、有名な平泉ひらいずみの「金色堂こんじきどう」は、その栄華の夢の跡を語ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
……たとえば、南部なんぶ絵暦えごよみを、学者よりも百姓のほうが、じょうずに読む。……しょせん、頭が正直で、まよわずにあるがままにものを見るからだろうて。
それは小倉織こくらおりで、普通の学生には見出みいだべからざるほどに、太い縞柄しまがら派出はでな物であった。彼はこの袴の上に両手を載せて、自分は南部なんぶのものだと云った。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
近年きんねん舊石器時代きゆうせつきじだいふる遺物いぶつ發見はつけんされるといふことでありますし、なほ北方ほつぽうのシベリヤの南部なんぶにおいても、舊石器時代きゆうせつきじだいのものがあらはれてたところからますと
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
実はてまえも、いささか誇りといたす愛馬で、南部なんぶの馬商人あきんどが、京の貴人へ、高値に売るとて、都へ曳いて上るのを、って所望いたしたものにございまする。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今日こんにち身装なりこしらえがくすんでも居ず華美はででも無い様子、ちょっと適当のなりに拵え、旧九月四日の事でございましたが、南部なんぶあい万筋まんすじの下へ、琉球りゅうきゅうの変り飛白がすり下著したぎ
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
南部なんぶが何と言っても、京都には敵いません。値段も倍から違います。鉄気かなけの出ないこと請合うけあいです」
嫁取婿取 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
秋は早い奥州の或山間さんかん、何でも南部なんぶ領とかで、大街道おおかいどうとは二日路ふつかじ三日路みっかじも横へ折れ込んだ途方もない僻村へきそんある寺を心ざして、その男は鶴の如くにせた病躯を運んだ。
観画談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
南部なんぶの山中からけ出した十六歳の少年が仙台で将軍の応接間おうせつまの椅子に先ず腰かけて「馬鹿ッ!」と大喝だいかつされてから、二十八歳の休職士官が失意失恋故山に悶死もんしするまで
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
青森地方、即ち南部なんぶ津軽つがるからも、はるかに九州のこの僻地へきちまで、数名の門弟が来ている。
淡窓先生の教育 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
まだ三月二十日になったばかりですが、少年の住んでいる村は、南部なんぶスコーネのずっと南の、西ヴェンメンヘーイにありました。そこにはもう春のかおりがみちみちていたのです。
もつとも「チヌノウミ」は元來ぐわんらい和泉いづみ南部なんぶのチヌといふところおきせうしたのではあるが‥‥。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
南部なんぶの紫紺染は、むかしは大へん名高いものだったそうですが、明治めいじになってからは、西洋せいようからやすいアニリン色素しきそがどんどんはいって来ましたので、一向いっこうはやらなくなってしまいました。
紫紺染について (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
五年十二月には南部なんぶ家と共に永く東西蝦夷地を警衛することを命ぜられて、十万石に進み、じゅ四位に叙せられた。この津軽家の政務発展の時に当って、允成が啓沃けいよくの功も少くなかったらしい。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
昨日きのふあまへてふてもらひしくろぬりの駒下駄こまげた、よしやたゝみまが南部なんぶにもせよ、くらぶるものなきときうれしくて立出たちいでぬ、さても東叡山とうえいざんはるぐわつくも見紛みまがはな今日けふ明日あすばかりの十七日りければ
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
惰氣滿々だきまん/\たる此時このときに、南部なんぶ横穴よこあなかたで、坪井博士つぼゐはかせは、一せいたかく。
南部なんぶ。255。
踊る地平線:04 虹を渡る日 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
ともなひ紀州へこそは歸りけれこゝに伊豫國新居郡にゐごほり西條の城主じやうしゆ高三萬石松平左京太夫此程このほど病氣びやうきの所ろいまだ嫡子ちやくしなし此は紀伊家の分家ぶんけゆゑ家督評議かとくひやうぎとして紀州の家老からう水野筑後守みづのちくごのかみ久野但馬守くのたじまのかみうら彈正だんじやう菅沼すがぬま重兵衞渡邊對馬守つしまのかみ熊谷くまがや次郎南部なんぶ喜太夫等の面々めん/\うちより跡目あとめの評議に及びけるとき水野筑後守進出すゝみいでて申けるは各々の御了簡ごれうけん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
奧羽地方おううちほうではさらくだつて四千七百尺しせんしちひやくしやくから三千五百尺さんぜんごひやくしやくたかさまでになり、北海道ほつかいどう南部なんぶでは一千五百尺いつせんごひやくしやくくだり、その中央ちゆうおうではつひ海水面かいすいめん一致いつちしてゐます。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
南部なんぶ領にはウバガシラとウバシラガというのと二つあって、姥白髪うばしらがの方が印象は深いが、私は姥頭うばがしらの方が舞の姿から出た名で、一つ古いもののように思っている。
喟然きぜんとしてわたしたんじた。人間にんげんとくによる。むかし、路次裏ろじうらのいかさま宗匠そうしやうが、芭蕉ばせをおく細道ほそみち眞似まねをして、南部なんぶのおそれやまで、おほかみにおどされたはなしがある。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
とついで京都に往って居るすえむすめの家を訪うべく幾年か心がけて居た母と、折よく南部なんぶから出て来た寄生木やどりぎのお新お糸の姉妹を連れて、余の家族を合せて同勢どうぜい六人京都に往った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
インドにおいては、地理ちり歴史れきし關係くわんけいから、北部ほくぶ南部なんぶとでは根本こんぽんから言語げんごがちがふので、インドじん同士どうし英語えいごもつ會話くわいわこゝろみてゐるのをてインドが到底たうてい獨立どくりつざるゆゑんをさとつた。
国語尊重 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
と大きなこゑを出して山中やまぢう呶鳴どなり歩きますうちに、田圃たんぼ出口でぐち掛茶屋かけぢややに腰をけてましたをんな芳町辺よしちやうへん芸妓げいしやと見えて、おまゐりにたのだからあまなりではりません、南部なんぶあゐ萬筋まんすぢ小袖こそで
心眼 (新字旧仮名) / 三遊亭円朝(著)
また陸奥国むつのくに八戸はちのへの城主南部なんぶ遠江守とうとうみのかみ信順のぶゆきと越前国鯖江さばえの城主間部まなべ下総守詮勝あきかつとから五人扶持ずつの俸を受けていた。しかし躋寿館においても、家塾においても、大抵養子竹逕ちくけいが代講をしていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
しかしこのたいぞくする土地とちでも、その南部なんぶでは、自然しぜんのまゝにそだつたはやしすくなく、ひとがどん/\つてはそのあとへすぎ、ひのきなど植林しよくりんしてそだてたはやしおほいので
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
南部なんぶではアモコ、岩手県も中央部ではモンコ、それから海岸の方に向かうとモッコ又はモーコで、あるいは昔蒙古人を怖れていた時代に、そういい始めたのだろうという説さえある。
おばけの声 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
侍「南部なんぶ恐山おそれざんから地獄谷のむこうへ抜ける時だ」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
半歳はんとしの後、彼は郷里の南部なんぶで死んだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)