函嶺はこね)” の例文
桂木は其のまざるぜんの性質にふくしたれば、貴夫人がなさけある贈物にむくいるため——函嶺はこねを越ゆる時汽車の中でつた同窓の学友に、何処どちらへ、と問はれて
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
紅葉もみじはちょうど見ごろ、差迫った御用もない折を狙って、銭形平次は、函嶺はこねまで湯治旅と洒落しゃれました。
愉快ゆくわい! 電車でんしや景氣けいきよくはしす、函嶺はこね諸峰しよほうおくゆかしく、おごそかに、おもてあつしてちかづいてる! かるい、淡々あは/\しいくもおきなるうみうへたゞよふてる、かもめぶ、なみくだける
湯ヶ原より (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
すしおごられたりしたものだが、客のねらつてゐる若い朋輩の援護隊として、二三人一組になつて、函嶺はこねへドライブした時には、留守が気になつて、まだ夜のあけないうちに
のらもの (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
六七月のかうに榛軒は暇を賜つて函嶺はこねに遊んだ。めぐむさんの蔵する所の「湘陽紀行」一巻がある。其書には年号もなく干支もないが、渋江保さんが此年の著だと云ふことを鑑定した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
弘独リ走ツテ帰リ泣イテ家慈かじニ訴フ。家慈嗚咽おえつシテこたヘズ。はじメテ十歳家慈ニ従ツテ吉田ニ至ル。とも函嶺はこねユ。まさニ春寒シ。山雨衣袂いべいしたたル。つまずキカツたおルコトシバ/\ナリ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
小田原よりか、函嶺はこねからか、それとも三島、日金の方か、たとい家は崖の上でも、十里は見通し得るはずがない。
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
紅葉もみぢは丁度見頃、差迫つた御用もない折をねらつて、錢形平次は、函嶺はこねまで湯治旅と洒落しやれました。
天利てんりにて、晝食ちうじき料理屋れうりやかどにて小杉天外氏こすぎてんぐわいしふ。それより函嶺はこねおもむ途中とちう電鐵でんてつ線路せんろまよあぶなはしわたることなどあり、午後四時半ごごよじはんたふさはちやく
熱海の春 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
何の用事で函嶺はこねへ来たか、それはよく解っていますよ、——大公儀から、駿府すんぷへ送る御用金が六千両、二千両の箱が三つ、馬に積んで、井上玄蕃いのうえげんば様が宰領をして、わざと大袈裟おおげさな守護はつけず
のち小田原をだはらまちはなれ、函嶺はこね湯本ゆもとぢか一軒いつけん茶店ちやみせむすめやつ姿すがたのいとうつくしきが、路傍みちばたかけひまへなるやまおよ三四百間さんしひやくけんとほところ千歳ちとせひさしき靈水かたちみづいたりといふ
城の石垣 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
函嶺はこねまでは四里八町、夜道には少し遠すぎます。
喜多八きたはち、さあ、あゆばつしと、いまこそ着流きながし駒下駄こまげたなれ、以前いぜんは、つかさやをかけたお太刀たち一本いつぽん一寸ちよつとめ、振分ふりわけ荷物にもつ割合羽わりがつぱ函嶺はこね夜路よみちをした、内神田うちかんだ叔父的をぢき
城の石垣 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
峠を越して函嶺はこねへ行ったのもございますし、湯河原を出て吉浜、もうその時分は、お関所あたりで、ゆっくり紙幣さつを勘定しているものもあろうし、峠の棄石すていしへ腰をかけて、盗んだ時計で
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もとより其のつもりぢや来たけれど、私だつて、これ当世の若い者、はじめから何、人の命を取るたつて、野に居る毒虫か、函嶺はこねを追はれたおおかみだらう、今時いまどきつまらない妖者ばけものが居てなりますか
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
函嶺はこねを絞る点滴したたりに、自然おのずからゆあみした貴婦人のはだは、滑かに玉を刻んだように見えた。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)