“しゝ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
猪21.3%
獅子19.1%
肉8.5%
死6.4%
嗣子4.3%
孜々4.3%
死屍4.3%
熾々4.3%
野猪4.3%
鹿4.3%
小便2.1%
史子2.1%
四肢2.1%
子思2.1%
孜孜2.1%
宍2.1%
尿2.1%
山猪2.1%
獅2.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「山國で猪(しゝ)や狼(おほかみ)を捕る虎挾(とらばさ)みといふ罠(わな)に首を突つ込んで山猫のやうな顏をして、もがき死(じに)に死んで居たのを、今朝になつて見付けましただ」
忽(たちま)ち山岳(さんがく)鳴動(めいどう)し、黒烟(こくゑん)朦朧(もうろう)と立昇(たちのぼ)る、其(その)黒烟(こくゑん)の絶間(たえま)に眺(なが)めると、猛狒(ゴリラ)は三頭(さんとう)共(とも)微塵(みじん)になつて碎(くだ)け死(し)んだ、獅子(しゝ)も大半(たいはん)は打斃(うちたを)れた、途端(とたん)に水兵(すいへい)が
代りて場に上りしは、此曲の女主人公にして、これに扮せるは二八ばかりの女(をみな)なりき。色好む男の一瞥して心を動すべき肉(しゝ)おき豐かに、目(ま)なざし燃ゆる如くなれば、喝采の聲は屋(いへ)を撼(ゆるが)せり。
是則(これすなはち)生(いきて)は形(かたち)を以て運(めぐ)り、死(しゝ)ては神(たましひ)を以て運(めぐる)ゆゑなりとかや。(文海披沙の説)菅神も此論(ろん)に近し。逃入村(にごろむら)の事を以ても千年にちかき神灵(しんれい)の赫々(かく/\)たること仰(あふ)ぐべし敬(うやま)ふべし。
そこで妾の腹に出來ても、自分の種(たね)は種であるといふところから、周三を連れて來て嗣子(しゝ)としたのであつた。從ツて目的がある。父は、周三を自分の想通(かんがへどほ)りに動く木偶(でく)になツて貰(もら)ひたかツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
直覚を常識で包まれて了つて手も足も出なくなつて了つた人は、それは論外だが、私達はその常識の中にゐて、孜々(しゝ)として自然の神秘に向つて進んで行く人のするのを時として見かける。
エンジンの響 (新字旧仮名) / 田山花袋、田山録弥(著)
十四日の午後、御船(みふね)附近の戦争で、父親は胸に弾丸(たま)を受けて、死屍(しゝ)となつて野に横(よこた)はつたのである。十四日晴(はれ)——と書いて、後(あと)が何も書いてないといふことが少なからず人々を悲(かなし)ませた。
父の墓 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
此事をはればきよめたる火を四隅(よすみ)より移(うつ)す、油滓(あぶらかす)など火のうつり易(やす)きやうになしおくゆゑ煓々(たん/\)熾々(しゝ)と然(もえ)あがる
野猪(しゝ)に似たりし勇のみあふれて、智惠は袋の底にや沈みし、誰が目に見ても看板うつて相遠なき愚人と知らるれば、流石に憐れむ人も有りて心は低(ひく)くせよ身をおしむな
暗夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
鹿(しゝ)が谷尼は磬うつ椿ちるうぐひす啼きて春の日くれぬ
恋衣 (新字旧仮名) / 山川登美子、増田雅子、与謝野晶子(著)
かう言つて母親が閾際(しきゐぎは)に額を押しつけると、延宝も小便(しゝ)に濡れた太守の着附のまゝで叮嚀に栗のやうな小さな頭を下げた。
鶴千代は二度までかう言つたが、つい堪(こら)へきれないで、ちやんと脇息(けふそく)に凭(もた)れたなり、袴のなかに小便(しゝ)を漏した。
〔譯〕孟子讀書を以て尚友(しやういう)と爲す。故に經籍(けいせき)を讀む、即ち是れ嚴師(げんし)父兄の訓を聽くなり。史子(しゝ)を讀む、亦即ち明君賢相英雄豪傑と相周旋(しうせん)するなり。
虎(とら)は比較的(ひかくてき)愚(おろか)な動物(どうぶつ)で、憤然(ふんぜん)身(み)を躍(をど)らして、鐵車(てつしや)の前方(ぜんぽう)から飛付(とびつ)いたから堪(たま)らない、恐(おそ)る可(べ)き旋廻圓鋸機(せんくわいえんきよき)のために、四肢(しゝ)や、腹部(ふくぶ)を引裂(ひきさ)かれて、苦鳴(くめい)をあげて打斃(うちたを)れた。最(もつと)も狡猾(こうくわつ)なるは猛狒(ゴリラ)である。
或方(あるかた)から御教示を受けましたから、長二郎の一件に入用(いりよう)の所だけを摘(つま)んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、※(きゅう)字(あざな)は子思(しゝ)と申す方がございまして、そのお子を白(はく)字(あざな)は子上(しじょう)と申しました
名人長二 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其の進(すゝ)む所有るを覺(さと)り、孜孜(しゝ)として自ら彊(つと)めて、老(らう)の將に至らんとするを知らず。
根本は餌取(ゑとり)と云ふべきか。餌と云ふは宍(しゝ)・鷹(むら)の餌(ゑ)を云ふなるべし。其れを取る物を云ふなり。ヱトリを早く云ひて、云ひゆがめてヱタと云へり。ヱトリを略せるなり。
暫くすると、氏は小便がしたくなつたのに気がついた。ソクラテスが説教をするのに大道(だいどう)を選むだやうに、酔ツ払ひは尿(しゝ)をするのに、それ/″\恰好な場所を知つてゐる。
熊もゐれば山猪(しゝ)もゐる。夏でも何うかなると、熊に山路で襲はれることなどもある。鹿の肉は澤山にあるが、これはしかしさう大して旨くない。猿は山の人は平氣で食ふ。
日光 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
さるを彼は俚言もて歌ひぬ。ボツカチヨオの心醉せる、これを評して、獅(しゝ)の能く泳ぎ、羊の能く踏むべき波と云ひき。我はその深さをも、その易さをも見ること能はず。