頼尚よりひさ)” の例文
と、航路の一日中、心も空な頼尚よりひさだったのである。またそうした不安も尊氏には告げていなかっただけに、芦屋の岸へあがるやいな、彼は
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたくしは或は口碑が若主人を嫡子とあやまつたので、別に致仕の老主人があつたのではないかと疑つた。しかし知譜拙記に拠るに、頼理の父頼尚よりひさは寛政九年十月八日に卒した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
さきに陸上の浜手隊をあげて新田軍を追いしたって行った少弐頼尚よりひさからのかえり伝令の報告などをききながら、寸時の休息をとりかけていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてもう前面には、少弐頼尚よりひさの浜の手隊や、足利直義ただよしの街道隊もせまっていた。どうしようもない。そうなってからでは、挽回のしようはない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「島津、大友の勢は、いかにせしと思うていたが、そこで待つ腹であったか。……したが頼尚よりひさ、なぜ立花山とやらに足ぶみしているのであろう?」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「風聞には、尊氏の一勢、およそ五、六百、少弐頼尚よりひさの案内にて、昨夕、芦屋へ上陸したとのことにございまする」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筑紫の少弐しょうに貞経の子、頼尚よりひさ兄弟が大宰府だざいふから一族五百余人をひきつれて
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)