間部詮勝まなべあきかつ)” の例文
その間部詮勝まなべあきかつ要撃ようげきのため、同志を糾合きゅうごうし、京に入らんとし、その父、叔父、兄に向って訣別の書を作りしは、同十一月六日なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
この時、井伊の輩下たる間部詮勝まなべあきかつと長野主膳は志士の裏を掻いて、京都のアンチ井伊の主魁と目された頼三樹三郎・山岡慎太郎・梅田雲浜等を捕へた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
そのとき幕府では水野忠邦と堀田正睦ほったまさよし間部詮勝まなべあきかつらがしりぞき、阿部正弘が老中となって政治の転換を断行していた。その大きなあらわれの一つが水戸斉昭の隠居謹慎である。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しこうしてこれと同時に、その股肱ここう間部詮勝まなべあきかつ京師けいしつかわし、以て朝廷の意見を飜えし、以て公卿中の非和親論者を威嚇し、而して京都にある横議の処士、おもなる攘夷論者、及び水戸派
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
常にはにぎやかな若年寄の部屋もひっそりとしているし、脇坂安宅、太田資始すけもと間部詮勝まなべあきかつ以下の居並んでいる老中部屋も、破れたギヤマンの角を思わせるような、鋭く澄徹った沈黙におおわれていた。
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
八月、家茂いえもち将軍となる〔昭徳公〕。一橋党ことごとく罪せらる。八月、密勅みっちょく水戸に下る。九月、間部詮勝まなべあきかつ京都に入る。梁川星巌やながわせいがん死す。梅田、頼その他の志士ばくくもの前後相接す。十一月、松下義塾血盟。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)