鉦打かねうち)” の例文
ハチと同じ階級にいる鉦打かねうちの徒が時に応じて種々の職に従事し、為に時には鉦打の七変化へんげなどと呼ばれたのも以て傍証とするに足ろう。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
左に掲ぐる地名は以前鉦打かねうち部落の住んでいたためにできたものと思う。なかんずく下総しもうささんのことは前にも話が出ている(柳田、念仏団体の変遷、郷土研究二巻二号)。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この文によると、文安(後花園天皇朝)の頃には声聞と書くのが普通であって、そしてそれは、主として鉦打かねうちの念仏修行の乞食僧であったらしい。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
猿引・編木師ささらし・恵美須・辻乞・乞胸ごうむね弦指つるさし・盲目で、また八乞食とは、薦僧こもそう鉢坊はちぼう絵説えとき鉦打かねうち・舞々・猿牽さるひき・山守・渡守を云い、次に六道の者というは
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
この派の行者を鉦打かねうちと云う。空也の鉢叩きが瓢箪を叩いたと同様に、遊行派のものは鉦鼓かねたいこを打って人の門に立ち、念仏を申して報謝の手の内に生きるのである。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
また御霊会の風俗踊りに加わって前棒さきぼうを勤めたのは、田楽法師・鉢叩き・鉦打かねうちにも似通うところがある。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
ある者が次第に深みに沈みいて、鉦打かねうち茶筅ちゃせんの徒はもとより、しゅくとか、鉢屋はちやとか、唱門師しょうもんじとか、犬神人いぬじにんとか、エタとか、番非人とか、その他各種の特殊民の源をなしたものと解せられるのである。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)