都々逸どゞいつ)” の例文
「何しろ莊左衞門といふ人は、町人のくせに學問が好きで、小唄も將棋しやうぎもやらないかはりに、四角な文字を讀んで、から都々逸どゞいつを作つた」
一九〇八年板ごむの「歴史としての民俗學」第一章などを見ると、今日開明に誇る歐羅巴人の多くの祖先も都々逸どゞいつ御順ごじゆんで、老は棄てられ壯きは殘る風俗でスマして居たらしい。
棄老伝説に就て (旧字旧仮名) / 南方熊楠(著)
都々逸どゞいつ三下さんさがり、大津絵おおつえなどを、いきな節廻しで歌われると、子供ながらも体内に漠然と潜んで居る放蕩の血が湧き上って、人生の楽しさ、歓ばしさを暗示されたような気になります。
幇間 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
東皐子とうくわうしこれいて、まさしく都々逸どゞいつ功徳くどくだとほこるのであつた。
「扇屋の取卷きの中へ、お前が一枚入つたといふのかえ、——お見それ申したが、お前も矢つ張りその十七文字の都々逸どゞいつの伜見たいのをもちひるのかえ」
「一軒目は學者で、都々逸どゞいつも雜俳も心得てゐる、恐ろしくいきな先生。足も身體も惡いが、昔は御武家だつたさうで、大澤傳右衞門、お家を狙ふ曲者見たいな名をして居る」
「唐天竺の都々逸どゞいつも心得て居るし、笛も吹けば琴も彈くんですつて」