谷文晁たにぶんちょう)” の例文
しかしその効能はおそろしいもので、素寒貧すかんぴんの書生は十年ならずして谷文晁たにぶんちょう写山楼しゃざんろうもよろしくという邸宅の主人になりました。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
抽斎は鑑賞家として古画をもてあそんだが、多く買い集むることをばしなかった。谷文晁たにぶんちょうおしえを受けて、実用の図を作る外に、往々自ら人物山水をもえがいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
江戸流捕物術と上方流との比較など、なかなか研究しているらしい上に、余暇には聞えのある学者を訪ね、谷文晁たにぶんちょうの画塾へ通ったりして、絵などもやっているという話、わしの所へも一
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「土井様と云えば譜代も譜代下総しもうさ古河で八万石大炊頭おおいのかみ様に相違あるまいが、さては今夜写山楼へおいでなさるお約束でもあると見える。……それにしてもさすがに谷文晁たにぶんちょう、たいしたお方を客になさる」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
次は芸術家および芸術批評家である。芸術家としてここに挙ぐべきものは谷文晁たにぶんちょう一人いちにんに過ぎない。文晁、もと文朝に作る、通称は文五郎ぶんごろう薙髪ちはつして文阿弥ぶんあみといった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それから芸術家および芸術批評家に谷文晁たにぶんちょう長島五郎作ながしまごろさく石塚重兵衛いしづかじゅうべえがいる。これらの人は皆社会の諸方面にいて、抽斎の世にづるを待ち受けていたようなものである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)