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護持院
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ごじいん
ふりがな文庫
“
護持院
(
ごじいん
)” の例文
何かのことに夜を
更
(
ふ
)
かして、
護持院
(
ごじいん
)
ヶ
原
(
はら
)
を帰るさ、
怨
(
うら
)
みを含む他流の者が、三十人余り党を組んで待ち伏せ、いわゆる
闇討
(
やみうち
)
を食った。
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あの往来は
丁度
(
ちょうど
)
今の神田橋一橋外の高等商業学校のある
辺
(
あたり
)
で、
素
(
も
)
と
護持院
(
ごじいん
)
ヶ
原
(
はら
)
と云う大きな松の樹などが
生繁
(
おいしげ
)
って居る恐ろしい淋しい処で、
追剥
(
おいはぎ
)
でも出そうな処だ。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
一度、神田橋外の
護持院
(
ごじいん
)
ヶ
原
(
はら
)
のかこいが取れたので、佐吉をつれて、
摘
(
つ
)
みくさに行ったことがあった。その摘み草が大へん面白かったので、お高は、また一日どこかへ遊びに行きたいと思っていた。
巷説享保図絵
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
綱吉の栄華や大奥の奢侈に費やされたことももちろんであるが、大奥の女性を経て、
護持院
(
ごじいん
)
の建立とか、そのほか無用な喜捨享楽に投ぜられた額も莫大であった。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一僧とは、たれも知る、綱吉の生母
桂昌院
(
けいしょういん
)
が、崇拝してやまない
護持院
(
ごじいん
)
の大僧正
隆光
(
りゅうこう
)
のことらしい。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
護持院
(
ごじいん
)
ヶ原まで飛んでくると、周馬はそこで、
茫然
(
ぼうぜん
)
と足を止めてしまった。
鳴門秘帖:02 江戸の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“護持院”の解説
護持院(ごじいん)は江戸の神田橋外(現在の東京都千代田区神田錦町)にあった真言宗の寺院。奈良県桜井市の長谷寺の一派であった。
(出典:Wikipedia)
護
常用漢字
小5
部首:⾔
20画
持
常用漢字
小3
部首:⼿
9画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“護持院”で始まる語句
護持院隆光
護持院原
護持院ヶ原