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諂
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おもね
ふりがな文庫
“
諂
(
おもね
)” の例文
塩瀬、青柳、新杵の如きも徒に新菓のみを工夫して、時人の口に
諂
(
おもね
)
り、一般が広告で売ろうなどとはさても悪い了見を出したものだ。
残されたる江戸
(新字新仮名)
/
柴田流星
(著)
ただ上官への
諂
(
おもね
)
りや
依怙
(
えこ
)
ひいきだけに依って保っている存在とはちがう。よくも悪くも、やはり時務にかかるとそれだけの腕はある人間だった。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
依
(
より
)
て万事をうち捨てて余の神聖なる希望を充たさんことを勉めたり、もちろん基督信徒として余は世に
媚
(
こ
)
び高貴に
諂
(
おもね
)
り以て余の目的を達すべきにあらず、余の頼むべきは神なり、正義なり
基督信徒のなぐさめ
(新字新仮名)
/
内村鑑三
(著)
そして青年を
鼓舞
(
こぶ
)
する事が急で、余りに煽動に走り、青年に
諂
(
おもね
)
るかの
口吻
(
こうふん
)
が強すぎるために、かえって青年は、みな彼の配所の垣へ寄るのを嫌った。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「決して、
諂
(
おもね
)
るわけではございませんが、たしかに、殿の御人徳によるものかと存ぜられます。それとこの中国において、わが羽柴軍が、ふかく民心を得た証拠とも申されましょう」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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在家
往生
(
おうじょう
)
とか、一向念仏とか、
易行
(
いぎょう
)
の道とか、聞く原理はいわゆる仏教学徒の学問の塔にこもって高く
矜持
(
きょうじ
)
している者から見ると、いかにも、通俗的であり、民衆へ
諂
(
おもね
)
る売教僧の看板のように見えて
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“諂”の解説
諂 (てん)(sa: śāṭhya、シャーティヤ)は、仏教が教える煩悩のひとつ。
心の邪曲。へつらうこと。自分だけの利益や世間の評判(名聞利養)を得るがために、他者をだまして迷わそうとして、私心を隠して人に媚びへつらい等など従順を装い、人の心を操縦する心である。もしくは、このような手段をもって、自分のなした過ちを隠蔽せんとする心である。
説一切有部の五位七十五法のうち、小煩悩地法の一つ。唯識派の『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち小随煩悩である。
(出典:Wikipedia)
諂
漢検1級
部首:⾔
15画
“諂”を含む語句
諂諛
諂曲
諂佞
諂媚
諂辞
辞色諂佞
阿諛諂佞