蒲原有明かんばらありあけ)” の例文
わが国でも、明治四十一年(一九〇八年)にはじめて蒲原有明かんばらありあけがフィツジェラルドの訳書中から六首を選んで重訳紹介して以来、今日までに多くの翻訳書が出た。
ルバイヤート (新字新仮名) / オマル・ハイヤーム(著)
ここに詩人蒲原有明かんばらありあけ子新声社の主人と相知れるよしを聞き子を介して新声社におもむき『夢の女』と題せし一作三百枚ほど持てあましたるものをば原稿料は無用なればとて
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
詩人の蒲原有明かんばらありあけ氏は、どんない景色を見ても、そこで何かべねば印象が薄いといつて、かはつた土地へたんびに、土地ところの名物をぱくづきながら景色を見る事にしてゐる。
(だから当時の詩壇には、蒲原有明かんばらありあけ、北原白秋の如き秀才が一時に出た。)
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
泡鳴子をおもうと、蒲原有明かんばらありあけ氏の歌も刻されてある。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
反復律の退屈からようやく人々に倦かれてきた時、薄田泣菫すすきだきゅうきんその他の詩人が、これに音律の変化と工夫を求めるため、六四、八六等の破調を加え、次第に複雑にして遂に蒲原有明かんばらありあけ等に至ったのである。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)