義髄よしゆき)” の例文
またその許しをおおやけに得たものは、士籍にあっては豊後岡藩ぶんごおかはんの小川弥右衛門やえもん地下人じげにん(平民)にあっては伊那小野村の庄屋倉沢義髄よしゆきをはじめとする。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小野村の倉沢義髄よしゆきを初めて平田鉄胤の講筵こうえんに導いて、北伊那に国学の種をまく機縁をつくったほどの古株だ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
暮田正香の紹介で知るようになった伊那小野村の倉沢義髄よしゆきだ。その年の二月はじめに郷里を出た義髄は京大坂へかけて五十日ばかりの意味のある旅をして帰って来た。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
祭政一致をめがけて神葬古式の復旧運動に奔走する倉沢義髄よしゆきと原信好のぶよし榊下枝さかきしずえの変名で岩倉家に身を寄せる原遊斎ゆうさい、伊那での長い潜伏時代からき返って来たような権田直助ごんだなおすけ、その弟子でし井上頼圀いのうえよりくに
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)