義良のりなが)” の例文
おととし十六の秋に、奥州鎮定の大任を負い、幼い義良のりなが親王を上に、父の親房や結城ゆうき宗広を後見として、この地へくだって来ていたのである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
成良しげなが親王(義良のりながの兄)を、関東の管領かんりょうとし、足利直義ただよし朝臣あそんを相模守に任じ、その補佐とする——
その顕家も、まだどこやらあどけない少年将軍の眉だったが、べつな輿こしへ乗って、軍士の群れにかれて行った後醍醐の第八皇子(母は准后じゅんごう廉子やすこ)——義良のりなが親王は、わずか六歳の幼少だった。