祠官しかん)” の例文
「——年の暮、熱田の祠官しかん岡部又右衛門どのを岐阜へお召しになって、信長様が、私財をもって、お命じなされたものだそうな」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六月十六日竹渓は再び松平冠山に随伴し、同じくその眷遇けんぐうこうむっていた人々と共に佃島住吉つくだじますみよし神社の祠官しかん平岡氏の海楼に飲んだ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
筑後水天宮ちくごすいてんぐう祠官しかんの家に生まれ、京都学習院の徴士にまで補せられ、堂々たる朝臣の列にあった真木和泉がたとい生きながらえているとしても
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
奥州郡山こおりやま八幡宮はちまんぐう祠官しかん安藤筑前あんどうちくぜん親重ちかしげの子で、寛政二年に生れたらしい。十六歳の時、近村の里正りせい今泉氏いまいずみうじの壻になって、妻に嫌われ、翌年江戸にはしった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
信長がひらりと飛び降りると、約二十名ほどの部下と共に、熱田の宮の祠官しかんでもあり、また神領の代官でもある千秋加賀守季忠ちあきかがのかみすえただが待っていて
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)