石部いしべ)” の例文
得たりと打悦び互ひに笑ひつ笑はれつ何時か草津くさつ石部いしべも夢の間に打過て水口の驛に着し頃は夏の日なれどもはや申刻なゝつすぎ共思はれける八九里の道を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
石部いしべ宿やどのお半さんがいい見せしめです、長右衛門さんという人は、何をどうといったエラ物でも大物でもなかったようですが、年上なんでしょう。
それほどの石部いしべ金吉なむっつり右門が、今回の四番てがらにばかりは珍しくも色っぽいところも少少お目にかけることになりましたから、まことに春は価千金
なにげなく上方かみがたへ向って旅立ちな——さよう、草津か、大津か——そんなところでは人目にかかる、こうと、いいことがある、少々道を曲げて石部いしべ宿しゅくなんざあどうだね
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
単物ひとえものを六百文の質に入れてもらって、早々そこのうちを立って、残りの銭をもって、上方へまた志して行くに、石部いしべまで行って或る日、宿の外れ茶屋のわきに寝ていたら
水口藩警固の間をそれて権田河原ごんだがわらたむろし、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破竹の勢いで東海道を西上し、石部いしべの駅に達したが、膳所藩ぜぜはんの警固隊を突破し、三上郡に殺到
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お豊の実家で娘の姿が見えぬとて、親たちもお豊の婿むこになるべき人も血眼ちまなこになって、八方へ飛ばした人が、関と坂下へ来た時分には、男女ふたりの姿は土山つちやまにも石部いしべにも見えませんでした。
大菩薩峠:02 鈴鹿山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)