益州えきしゅう)” の例文
南方の沿海、江蘇方面から、安徽あんき浙江せっこうにおよび、江岸の荊州(湖南、湖北)より、さらにさかのぼって益州えきしゅう四川省しせんしょう)にまでちらかった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
として、皇甫嵩こうほすう車騎将軍しゃきしょうぐんに任じ、益州えきしゅうぼくに封ぜられ、そのほか恩賞の令を受けた者がたくさんある。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
益州えきしゅう。それは巴蜀はしょく地方の総称である。漢代から蜀は益州、或いは巴蜀とひろく呼ばれていた。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
皇甫嵩こうほすう将軍は、功によって、益州えきしゅうの太守に封ぜられ、朱雋は都へ凱旋するとただちに車騎将軍となり河南のいんに封ぜられている。あの孫堅さえ内縁あって、別部司馬べつぶしばに叙せられたほどだ。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それがこの荊州けいしゅうです。また、益州えきしゅうです
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、益州えきしゅう劉璋りゅうしょうは」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)