登米とよま)” の例文
陸前の登米とよまで生まれた人の話に、この人の父は毎朝煙草をのむ前に、そのきざみを三つまみずつ、火入れの新しい火に置いて唱えごとをした。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
藤森少参事以下随行員の中姓名の明なるものは、登米とよま県少参事藤森脩蔵、同県権大属矢野児三郎、同県少属兼松修理之助(名古屋人)のみである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
即ち今の登米とめ郡の登米とよまという北上川沿岸の地から出張し、子の弥一右衛門清久は大崎の古河城、今の小牛田こごた駅より西北の地から出張して、佐沼の城の後詰を議したところ
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
これは渡辺金兵衛等のすゝめによつて原田甲斐が取り計らつたのである。伊達安芸は遠田とほだ郡を領して涌谷わくやに住んでゐたが、其北隣の登米とよま郡は伊達式部が領して、これは寺池に住んでゐた。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
登米とよま新井田あらいだという部落では、昔隣りの郡から分家をして来た者が、七観音と地蔵とを内神として持って来て、屋敷に堂を建ててていねいに祀っておりました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
八月七日奥羽に白川白石登米とよま九戸くのへ江刺えさしの五県が新置せられ、毅堂は陸前国登米県の権知事に任ぜられた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
登米とよまを過ぐる頃、女のもちをうりに来る。いくらぞと問えば三文と答う。三毛かと問えばはいと云い、三厘かといえばまたはいと云う。なおくどく問えば怫然ふつぜんとして、面ふくらかして去る。
突貫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
右に挙げた静岡県中部以外に、木曽でも伊勢でも遠く離れた山口大分の二県でも、露草をハナガラといい、東北は仙台以北、登米とよま地方にかけて同じものをネコノハナガラと呼んでいる。
八月十四日、毅堂は登米とよま県在任中名古屋の家に留めて置いたその三男留次が六月二十五日に病死した報知に接した。『毅堂丙集』の巻之二に「留児墓誌」なる文が載っている。文に曰く
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
宮城県北部の登米とよま郡その他、岩手県の気仙けせん郡などもともに、センバコキと謂えば一般に櫛の歯式稲扱器、すなわち南隣の阿武隈あぶくま流域などで、前からカラハシと呼んでいたものを指したらしい。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)