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登米
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とめ
ふりがな文庫
“
登米
(
とめ
)” の例文
故新左衛門の養
嗣子
(
しし
)
采女
(
うねめ
)
は、まだ柴田
外記
(
げき
)
に預けられて
登米
(
とめ
)
郡にいた。そして明くる年の七月に、そこで病死したのだ、と甲斐は思った。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
登米
(
とめ
)
以北の旧仙台領においては、区別のために「おかみん」と後をはねている。実用には何のたそくにもならぬが、話をするにはこちらを使うと区別がつく。
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
即ち今の
登米
(
とめ
)
郡の
登米
(
とよま
)
という北上川沿岸の地から出張し、子の弥一右衛門清久は大崎の古河城、今の
小牛田
(
こごた
)
駅より西北の地から出張して、佐沼の城の後詰を議したところ
蒲生氏郷
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
それは陸前の
登米
(
とめ
)
、
本吉
(
もとよし
)
、
気仙
(
けせん
)
の諸郡から、陸中の
東磐井
(
ひがしいわい
)
、江刺(以上旧仙台領)
東奥異聞
(新字新仮名)
/
佐々木喜善
(著)
此間は佐渡の海府から貰つたが、今度は陸前北上川沿岸の
登米
(
とめ
)
町から貰つた。登米町は、去年石の巻に行つた時に、余程行つて見やうかと思つたところだけに、殊になつかしさに堪へなかつた。
夏
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
▼ もっと見る
三男は田村家を継いで、いま
右京亮宗良
(
うきょうのすけむねよし
)
となのり、栗原郡岩ヶ崎、一万五千石の
館主
(
たてぬし
)
である。五男も分家して、式部
宗倫
(
むねとも
)
といい
登米
(
とめ
)
郡寺池、一万二千石の館主であった。
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
中央の諸国ではこの語の使用は
夙
(
つと
)
に絶えたけれどもたとえば陸前
登米
(
とめ
)
郡
石森
(
いしのもり
)
村の大字加賀野、盛岡市の大字加賀野、越中
婦負
(
ねい
)
郡
細入
(
ほそいり
)
村大字加賀沢等、『地名辞書』に見ゆる多くのカガは
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
彼は
登米
(
とめ
)
郡
米谷
(
まいや
)
三千石の館主であったが、これで六千石の家老となり、名も
外記朝意
(
げきともおき
)
と改めた。
樅ノ木は残った:01 第一部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
陸前
登米
(
とめ
)
郡
米谷
(
まいや
)
町大字米谷字黒仁田
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
御承知のように、
登米
(
とめ
)
郡寺池は、遠田郡涌谷の北に当り、互いに領分が接しております。
樅ノ木は残った:02 第二部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
陸前
登米
(
とめ
)
郡
米谷
(
まいや
)
町大字米谷字悪戸原
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
伊達
安芸
(
あき
)
の手紙は「地境論」の経過を述べたものであった。安芸の領地の遠田郡涌谷は、伊達式部の領地である
登米
(
とめ
)
郡寺池と接していて、寛文三年このかた、三カ所に地境の争いが起こっていた。
樅ノ木は残った:04 第四部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
カゲヒキ 陸前
登米
(
とめ
)
郡
野草雑記・野鳥雑記:01 野草雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
登
常用漢字
小3
部首:⽨
12画
米
常用漢字
小2
部首:⽶
6画
“登米”で始まる語句
登米郡