済南さいなん)” の例文
わけても、陣中常に赤い甲冑を着て通った武騎校尉曹操そうそうも、功によって、済南さいなん(山東省・黄河南岸)のしょうに封じられたとのことであった。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それからのち二年の春、宗は小児を連れて済南さいなん章丘しょうきゅうへゆくと、路で胡服こふくをきた一人の僧に逢った。僧は容貌魁偉ようぼうかいいともいうべき人で、宗にむかって突然に訊いた。
排日が支那全土の運動になった、そのきっかけを作った済南さいなん事変、たとえばあれを見ても、日本側の報道だとこうなっている。済南の在留邦人が略奪に会っているというしらせで、日本軍が出動した。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
済南さいなん府の学堂、文昌閣ぶんしょうかくの家の棟に二羽のかん雁鴻がんこうの一種である)が巣を作っていた。ある日、それが西の郊外を高く飛んでいると、軍士の一人が矢を射かけて、その一羽のはぎにあたった。
青州大興山たいこうざんの附近一帯(山東省済南さいなんの東)に跳梁している黄巾賊五万以上といわれる勢力に対して太守劉焉は、家臣の校尉こうい鄒靖すうせいを将として、大軍を附与し、にわかに、それへ馳け向わせた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)