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泄
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もれ
奪取江戸へ名乘出んとは思しが
師匠感應院の口より
泄んも計りがたければ師匠は我十三歳の時に
毒殺したり尚も
幼顏を
亡さん爲に九州へ下り熊本にて年月を經り大望を
尋るに本多長門守
領分遠州
榛原郡水呑村千五百石の
村名主九郎右衞門が實の弟に九郎兵衞と云者
有平生より
心正しからず其が
菩提所に
眞言宗大石山不動院と云寺
有此住寺も又大の
道樂者にて同氣相求るの
諺に
泄ず九郎兵衞と
平生に親しくなしけるが九郎兵衞は豫て
袋井宿三笠屋甚右衞門が
抱へ遊女お芳を