梅迫うめさこ)” の例文
尊氏の生母清子、上杉氏の所領で、その実家は「梅迫うめさこ」という所だとされ、尊氏の「産ぶ湯の井戸」などの口碑も残っているという。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
案のじょう、悪路のために、二時間ぢかくも途中で遅れ、やっと目的地の梅迫うめさこに着いた。やれやれといった顔つきで、みんな降りる。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
桂から沓掛くつかけ、老ノ坂隧道トンネル——丹波篠村しのむら——千代川、薗部そのべ、観音峠——須知町、山家、綾部——そして舞鶴線に沿って、梅迫うめさこ、上杉
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹波の梅迫うめさこから迎えられて、以後、都に定住となった尊氏の家族は、家来や侍女たちもいるし、なかなかそれは大人数だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで、路を代えた鐘巻自斎は、おにじょう峠を越えて梅迫うめさこから綾部を廻り、京都路へさして行ったらしいが、後の消息はこの地方に絶えてしまった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「上杉伊豆(重能)の領地、丹波の梅迫うめさこへと、夏ごろ、ひそかにお移りとは、かねて伺っておりましたが」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつはまた、丹波の奥、梅迫うめさこの山家に難を避けておられる兄弟ふたりの母上、わしの妻子らも、早う都へ迎え取りたい。直義は久しく会わぬ母者ははじゃを見たいとはおもわぬか
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)