柴野栗山しばのりつざん)” の例文
竹渓が柴野栗山しばのりつざんと交のあったことは「十月既望栗山翁碧瓦堂。」〔十月既望栗山翁ノ碧瓦堂ニテ〕と題した七律によって知られる。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
柴野栗山しばのりつざん尾藤びとうしう、古賀精里、頼春水、桑山玉洲くはやまぎよくしう釧雲泉くしろうんせん立原翠軒たちはらすゐけん野呂介石のろかいせき、田能村竹田等は悉その友人である。
僻見 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
渋江氏の勤王はその源委げんいつまびらかにしない。しかし抽斎の父允成に至って、師柴野栗山しばのりつざんに啓発せられたことは疑をれない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
当時儒学の宗たる柴野栗山しばのりつざんに到底及ばざるを知って儒者を断念して戯作の群に投じたのであると語ったのを小耳に挟んで青年の私にはなした老婦人があった。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
徳川時代の儒者、柴野栗山しばのりつざんが河に臨んだ小亭の位置を好んで、その邊の自然を樂しんだ跡と聞く。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
通称ははじめ玄庵げんあんといったが、家督の年の十一月十五日に四世道陸と改めた。儒学は柴野栗山しばのりつざん、医術は依田松純よだしょうじゅんの門人で、著述には『容安室文稿ようあんしつぶんこう』、『定所詩集』、『定所雑録』等がある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
柴野栗山しばのりつざんの銘に「天造地設。待仲景蓮。柴彦作銘。皇寛政年。冉冉征途。来者何人。任爾千回。蒸出五雲。」〔天造リ地設ケ/仲景蓮ヲ待ツ/柴彦銘ヲ作ル/皇ノ寛政ノ年/冉冉トシテみちヲ征ク/来者ハ何人ゾ/爾ニまかスニ千タビめぐリ/五雲ヲ蒸出ス〕というに因ったのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)