東呉とうご)” の例文
舞陽ぶようの人、陳巌ちんがんという者が東呉とうご寓居ぐうきょしていた。唐の景龍けいりゅうの末年に、かれは孝廉こうれんにあげられて都へゆく途中、渭南いなんの道で一人の女に逢った。
そして遂に、その理想は実現を見、玄徳は西蜀せいしょくに位置し、北魁ほくぎ曹操そうそう東呉とうご孫権そんけんと、いわゆる三ぶん鼎立ていりつの一時代を画するに至ったが、もとよりこれが孔明の究極の目的ではない。
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東呉とうご徳王とくおう
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)