新井白石あらいはくせき)” の例文
後に新井白石あらいはくせきの如き名家を出したにかかわらず、なお容易にその継承し来った五山僧侶そうりょの文学の余習を脱却だっきゃくし得なかったのであるが
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
幕府の儒者じゅしゃ筑後守ちくごのかみ新井白石あらいはくせきにいいつけられて、聖書の洋語を拾って和訳することが、ここ数年、かれの仕事とされていました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新井白石あらいはくせきは、『仲哀帝崩論ちゅうあいていほうろん』という論文をのこしている。それによれば、神功じんぐう皇后がたくみに、この事件を始末して、人民の疑いをといているように読まれる。
始めて出られた時、自分が好む本だからと、新井白石あらいはくせきの『藩翰譜はんかんぷ』を持って来られて、右手を隠しに入れ、左の手に本を持って、生徒の机の間を歩きながら読上げられます。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
新井白石あらいはくせきは加州を「天下の書府なり」と云い、荻生徂徠おぎうそらいは「加越能かえつのう三州に窮民なし」と云った。またみんそう高泉こうせん文宣王ぶんせんおうの治世に比して「さらに数歩を進めたるもの」とさえ称した。
日本婦道記:梅咲きぬ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
これは本多佐渡守ほんださどのかみの著と言われながら、早くより疑問視せられているものである。新井白石あらいはくせきは本多家から頼まれてその考証を書いているが、結論はどうも言葉を濁しているように思われる。
江戸でこの取調べに当ったのは、新井白石あらいはくせきである。
地球図 (新字新仮名) / 太宰治(著)
新井白石あらいはくせき曰く
通俗講義 霊魂不滅論 (新字新仮名) / 井上円了(著)
鷲津幽林は寛政十年十月十七日享年七十三でぼっした。さればその生れたのは享保きょうほう十一年丙午である。即新井白石あらいはくせきの没した翌年にして安達清河あだちせいか立松東蒙たてまつとうもうの生れた年である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)