斜谷やこく)” の例文
魏の総勢が遠く退いた後、孔明は八部の大軍をわけて箕谷きこく斜谷やこくの両道からすすませ、四度よたび祁山きざんへ出て戦列をかんと云った。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
斜谷やこく方面の要路へ出て、ここ七日ばかり伏勢の構えを持していたが、いっこう蜀軍に出会わないので、「司馬懿しばいとの賭はもう自分の勝ちである」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「よし、機は熟す」となして、いよいよ総兵力をあげて、陳倉から斜谷やこくへすすみ、建威けんいを攻め取って、祁山きざんへ出馬した。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蜀の張飛、魏延ぎえん、馬超、黄忠、趙雲ちょううんなどという名だたる将は、陣をつらねて、斜谷やこくの下まで迫っていた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここに斜谷やこく天嶮てんけんあり、ここに北夷ほくいを平げて、勇気凜絶りんぜつの新手五万あり、加うるに、わが次男曹彰は、武力衆にすぐれ、この父の片腕というも、恥かしくない者である。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
斜谷やこくの乱軍中に口へやじりをうけて、その折欠けた二本の前歯の修繕ができた日だったのである。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)